2012-02-05

憧れと羨望の集まる中心に触れる時。光の中心は畏れを抱くほどの静寂である事を知る。




ちっちゃい頃。

おばちゃんちに遊びに行くと、たまにスーパーに連れて行かれた。
で、「好きなお菓子買ってあげるから」と、
一緒にレジに並ばされるわけです。
時に卵を。時に砂糖を持って。


そうそう、よくある「おひとり様一点限り」ていう、アレです。
いとこのお姉ちゃんは「めんどくさいから嫌だ」と行きたがらなかったけれど、

私、アレが大好きでした。
お菓子を買ってもらえるから。では、無くて。(少しはあるよ勿論)
その時ばかりは、


「何の役にも立たないちっちゃな子供でしかない私」
が、


「居なくてはならない必要な存在である私」
になれるから。



私の青春時代の要となった人がいます。

多大なる、どころじゃない程の影響を私に与えた人。

同じ時を共有できたことが、
大袈裟に言うと、その人と同じ時代に産まれてきた事を、
心から有難い、と思った。


そんな人。のおはなし。


その人は、誰からも必要とされた。
その人を、誰もがすごいと認めていた。

誕生日が2月29日
4年に一回巡って来る、そんな特別な日が誕生日だなんて、
私なんか、もうそれすらも、「すごい!」と思ったもんだ。

そんな人と、大学の授業で同じチームになる事の多かった私は、一緒に創作活動をする。
毎週一本芝居を作って発表する、という授業。
朝から晩まで他にも授業がある中で、時間をひねり出して、本を書き、稽古して、発表。この繰り返し。

その人と私は家が直ぐ近くだったから、深夜近所の公演で落ちあって、そこのパンダの乗り物の上で話を作る。
私が「こんなストーリーがいい」とか「いつもこういう格好の人が主人公の話」とか、「こんな口癖のひとがいたら面白いよね」とか、一つの絵になるかどうかも分からないバラバラのピースを鷲掴みに渡すと、その人がもう見事に一つの作品に仕上げる。
癖のある字でその場で台本を書きあげ、翌日コピーしてメンバーに渡す。


楽しかった。
きっとその人一人でも台本は作れるのに、わずかでもその作業の一端に関われる事が嬉しかった。
出来る事ならずっと一緒に居たかった。



でも、私たちは「一緒に」じゃなく「それぞれ」で欲しいものを掴みに行く事になった。



私はすごく不安で、すごく寂しくて、
ちゃんと決めたはずなのに、
もう私はその人にとって必要じゃなくなったのかな、と落ち込んだ。

会わなくなって何年かたった頃、その人が元気で生きていてくれればそれでいい、と思った。
一緒に並んでなくとも、私がその人を忘れる事なんて、ありえないから。


目的地はただ一つ。


だから、お互い歩みを止めなければ、いつかは何所かで合流するはずだった。
もしそれが叶わないとすれば、根性の無い私が諦めて歩むのを止めた時以外考えられなかった。
そう、合流するはずだったんだよ。



なのに。



あの夏の日、
その人は目的地を通り越して逝ってしまった。


「元気で生きていてくれればそれでいい」
と思ったその人の肉体は、今、どうやらこの地球上には存在しないらしい。

49日が過ぎる頃。やっとその人の御実家に伺う事が出来た。
お母様が「何だか未だに毎日色んな方が訪ねて来て下さるのよ。それも世界中から。」
と仰ったのを聞いて、
「でしょうね」と、私は言った。



その日の夜。
「よぉ、こみな!!久しぶり、元気か?」
と、夢の中に現れたその人が、本当に自然に、さらっとそう言ったもんだから、
わたしも「何年振りだろうねぇ!!」と再会を喜んだ。

起きてもなお、生々しいその人の声が「これは夢よ」だなんて消えてなんかいかない。



「あぁ…、いなくなるわけじゃぁない」



と、思った。

私の心の「一番明るい場所」にはいつもその人がいて、二カッと笑ってたまにここまで降りてくる。
それから今日まで幾度か私の夢へ現れるのだけど、いつも第一声は決まって
「よぉ、こみな!!久しぶり、元気か?」なので、私は「元気だよ」とか「まぁまぁだよ」とか言う。


QRANQの公演を観に行く前夜、
私は初めてその人の「未来」を、見た。

大きな大きな劇場で、何人ものスタッフに指示を出し、数え切れないほどの出演者にダメ出しをしていた。
すごい装置もきっとその人が考えたんだろうなぁ。凄い装置と照明だったな。

リハーサルが終わって二人きりになった時、その人は自分の想いを語りながら、泣いた。
不安を口にして、ポツリと


「こわい」


と言った。


私はずっと、その人に必要とされたかった。

とてもその人のようにはなれないし、その人の思考回路は私には想像も出来ないから、
「その人に、或いはその人のようになりたい」などとは思った事はなくて、
凡人である私は非凡なその人から、ただただ「必要だ」と言われたかった。

一緒にいた頃私の思っていた「必要」の形は一つしか無くて、それが出来ずにいた私は、
その人にとって「無用のもの」なのだと落ち込んだ。


ところが、そうではなかった。
「必要」の形とは、決して一つなんかではなかった。

気付いちゃったんだ。
というか、やっと確認出来たんだ。

CRANQの「絢爛とか爛漫とか」公演を観ながら、
「天才とは、いつでも自身を駄目だと思っている人たちである。」
とは、太宰治が書いていた一文だけど、
そうだとするならば、天才と呼ばれる人たちは、一体いくつの才能を持ち合わせているんだろう。
そしてきっと、その与えられた才を全て使えるんだよなぁ。
その人も、そうだったんだなぁ。だからあんなに濃い人生だったんだ。
なんて考えた。
(あ、ちゃんと芝居観てますよ!ホントに)


「元気で生きていてくれればそれでいい」
と思ったその人の肉体は、今、どうやらこの地球上には存在しないらしい。

全くずるい話。

肉体を離れて自由になった今は、なお一層好きな時に好きな所へ飛び回っているのだから。
どこまで自分のものにしちゃうんだよ。


あぁ、そして私はやっと終わらせる事が出来た。
あぁ、やっと書けた。


私は20代で一人、30代で一人、と、大切な人を亡くしました。
でも、そのどちらとも会ってお別れをしていません。

20代の時、
実感の無い事実を私なりに一度呑み込んで腑に落として認めるために、
私は「書く」という方法を取りました。
全く持って皆様には関係ないお話で申し訳なかったけれど、沢山の方がコメントを下さって、
その一つ一つを読み返して、昇華させた。
その節はお世話になりました。


さて。

これで、終わり。
ここから、はじめる。


だから、
言い訳しないで



やめたがるのは、もうやめよう。



迷うのは、その時からで良い。

閏年の今年、貴女の誕生日が来るまでにこれを書けて良かったよ。

ここを逃したら、4年後まで持ち越した気がするから。










この写真、私の中の奇跡の一枚。

神様が、私の目の前に降りてきた!!と思った。
五分位滞在されて、帰って行かれました。


皆さんの今日が、ちゃんと終わって、
また明日、新しく始まりますよう。
それが素敵な一日でありますよう。

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